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狭川城跡・九頭神社(奈良市) 山里に息づく神社 中世豪族の居城を見上げ

九頭神社の拝殿前には奈良市の保存樹に指定されている高さ25mのイチョウがそびえ立つ

 奈良市狭川地区は笠置街道沿いにある山里で、のどかな風景が広がっている。この地に山城があったと聞き、城跡の一つを訪ねた。

 

 案内板などは出されていないため、狭川地区の氏神である九頭神社の辻孝宮司(76)に案内をお願いした。民家の裏を通るため、住人に声を掛け裏山から登る。まめに整備されているそうで、草も刈られ、柔らかい土を踏みしめて山道を進む。

 

 途中、風で倒された木もあったが、辻宮司の手助けの元、空堀の跡などを教えてもらいながら、なんとか山頂までたどり着いた。

 

 狭川地区には室町時代、狭川氏、福岡氏、佐野氏という3氏の豪族がいたとのこと。この上狭川城は福岡氏の居城で、福知福岡城とも呼ばれる。福岡氏とは明治の初め、「五箇条の御誓文」の起草に関わった福岡孝悌の先祖にあたり、近くには福岡家の菩提寺である吉水寺の跡や、十三重塔もあるそうだ。


 山頂には行者堂があり、役行者がまつられている。今でも年に一度は地域の人々が集まって祭りを行っているという。行者堂の後ろが城跡で、人工的に積まれた土塁などを見ることができる。

 

役行者をまつる行者堂

 道に迷いながらも下山し、九頭神社に向かった。狭川地区10町の氏神である。境内にある最も古い石灯篭には「長享3年7月」と、室町時代の年号が銘記されている。「名前から水神をまつっていたのではないか」と辻宮司。

 

 神社の拝殿から振り返ると、先ほど登った上狭川城のある山が見える。「福岡氏と狭川氏が協力して九頭神社を守ったのでしょう」と辻宮司は話す。拝殿の手前には奈良市の保存樹にも指定されている、高さ25mの大きなイチョウがそびえ立ち、秋には銀杏の実がたくさんなるそうだ。拝殿は平成になって建て替えられており、本殿と横に並ぶ右殿、左殿も朱色が鮮やかに目に映る。秋にはイチョウとのコントラストが見られるのであろう。

 

 清潔に整えられた境内に、地元の人々が大切に神社を守り続けている様子が感じられ、山里の日常の中に今も息づいている神社という印象を持った。秋、イチョウが色づくころまた訪ねたいと思う。(久)

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地図

上狭川城跡・九頭神社

※このページの内容は2020年5月8日現在のものです。

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