道からはじまるストーリー

第30話 「時代の流れを見つづけている山道」

2006.06.23

 人生のボーナス期…と感謝しつつ、自由に楽しく暮らしている私は、友人や家族と旅をすることが多いが、全国をあちこち旅して強く思うこと。それは、「広橋峠を越えて故郷に帰る道は、日本一、昔のままに近い道…」だということ。

 数十年かかって、やっとできた短いトンネルと多少の道幅の拡大と舗装をしたとは言え、カーブの多い山道である。しかし、私やこの道を通る人たちにとって、忘れられない心に残る山道ではなかろうか。

 幼少期、麓の町の初市に行くのに、友人と10キロ余りのこの山道を歩いて行ったものだ。バスは当時、1日数本しかなく、木炭で走るバスだった。どこへ行くのも歩いていく人が多かった。もちろん町へ出かける人も少なかった。
  中学校の卒業旅行のときは、弁当二食と米と山菜を持って、京都へ行った。駅まではトラックの荷台に乗るという、戦後の考えられない生活だった。

 町へ出かけるときの服装は、もちろん母の手作りである。母の着物が、スカートや上着と化した。夜なべの仕事である。冬は、自分で作ったストーブしばを背荷って学校へ行った。長い長い寒い寒い山道である。登下校のときは、仲間と大声をあげて流行歌を歌って通った。
  大学を卒業して、故郷の近くで仕事を…と願い叶って就職したとき、月収の半分がバス代に返上した。

 時代は流れ、子どもが私立の中学に通うようになり、朝は定期バスで、帰りは、主人が毎日、峠を越えて迎えに行った。

 今は、町に住み、週末に野菜や花作りなどをしに帰る。戦後の生活を考えるとき、今は亡き当時の人々の暮らしに頭の下がる思いである。昔は、人も多く子どもの声も響く活気ある山の生活であった。今は、幼稚園や小学校も町と統合し、老人の多い村となった。

 しかし、老境に入った今、故郷は四季の自然が感得でき、心おだやかで美しい澄んだ緑の村だ。趣味を生かせる宝庫の村でもある。また広橋峠は山野草が咲く人生の山道でもある。

橿原市 中井二三代 70歳

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 この魯迅の『故郷』の中の言葉がエッセイ「私のすてきな道」のスタートでした・・・・・

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