道からはじまるストーリー

第31話 「大事なことを教えてくれた道」

2006.06.30

 私はなぜ、あんなにも必死に走ったのだろうか…
  4歳からクラシックバレエを習っていた私は、小学校5年生のときに桜井市にあるバレエ教室に通うようになっていた。私が住んでいた橿原市白橿町からは車で約30分。できたばかりの教室だったので、生徒数も少なく、年下の子ばかり。先生はとても厳しくて、泣きながらレッスンすることのほうが多かった。

 それは、小学校の運動会前に起こった。予行練習で疲れ、バレエを休みたいとだだをこねたのだ。しばらく母と言い争いをし、ついに母は本気で怒り、「勝手にしなさい。もう辞めなさい」と言った。

 その言葉を聞いた瞬間、なぜか私は行かねばならない気がして、何も考えずに家を飛び出した。もくもくと歩き、泣きながら走っていた。気づいたら飛鳥川を渡り、雷丘を過ぎ、飛鳥資料館の前に来ていた。桜井市に差し掛かり、峠を越えて、済生会中和病院の横を通ったとき、とても安心した記憶がある。夕方の6時ごろだったため暗く、足が痛かった。もうすぐ、稽古場に着く。もうすぐ、もうすぐ…と無我夢中だった。

 結局、練習に30分も遅れて参加した。練習の終わるころに迎えにきた母は、私が歩いてきたなんて夢にも思わなかったようだ。今よく考えたら、電車なり自転車なり、手段があるのにバカだなと思う。でも、辞めたくない一心であのような行動をとったのだろうし、本当にバレエが好きだったのだ。

 その教室で、基礎から習い、トウシューズを履き、一人で踊らせてもらうまでになった。そして、厳しくて泣きながら耐えた練習を乗り越えてたった舞台は、最高の舞台になった。踊り終わった後の拍手は今でも忘れてはいない。「やっぱりバレエ好きや。耐えてよかった」と思えた瞬間だった。

 私は今、奈良を離れて一人で暮らしている。自分の夢をかなえるためだ。ときに泣きながらも夢に向かって、歩き、走っている。私は信じている。無我夢中で走ったからこそ、後の達成感がすばらしいものだと。本当に好きだから、夢中で走れるのだと。あの時の道はそれを教えてくれた。

北海道 安藤ゆり  19歳

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 この魯迅の『故郷』の中の言葉がエッセイ「私のすてきな道」のスタートでした・・・・・

わたしのすてきな奈良の道





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