二十数年前、市の母親教室で知り合った友と私は、まだまだ新米ではあったがようやく育児にも慣れ、3歳になった子ども達を連れて春の大和路を歩いた。
ベビーカーを連ねて進む白毫寺へと続く道は、あふれる緑の中にレンギョウの黄色が幾筋も流れていた。また、遠くにかすむ薄桃色の桜や、雲かと見まがう白いモクレンのかたまりの豪華さばかりではなく、野のレンゲやタンポポも精一杯の生命の輝きを見せて、まさに春らんまんとはこのことかと思われた。
新薬師寺を過ぎて車の通らぬ野道になると、いつもは抱っこをねだる子らが歩きたいと言い出した。二匹の子犬のように前になり後ろになって駆けてゆくかと思えば、夢中で道端の草花を摘んでいる。
やがて、小さな手を引き寺への石段を上がっていくと、ここでも門一杯にあふれんばかりの桜花が私達を出迎えてくれた。
花祭りの日の読経がうやうやしく流れる中で甘茶をいただく。小さな旅の疲れもとれた。
時は流れ、一人っ子もそれぞれが兄となり、互いに別々の人生を歩んでまったく会うこともなくなった。社会人として新しい一歩を踏み出す今、目に浮かぶのはあの日の風景―白毫寺への道。
カメラもビデオも持っていなかったのに、鮮やかに記憶に残っている。花の額ぶちにおさめられてしっかり胸の中に飾られている。そして、母の手を離れて自由に春の風とたわむれる我が子を見ていた、安らかな気持ち。途中、波風で揺れる時もあったけれど、心穏やかに、旅立つ息子を送り出してやりたいと思う。
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