道からはじまるストーリー

第41話 「淡き想い出の道」

2006.09.15

 あー遥かな想い出の道。己に母は亡く、夢幻のような淡き道。当時、教師の私は帰宅が遅く、会議の日は日没、当時の学校では提灯学校と言われた。つづら折りの道は県道で、粟原川沿いに走り途中に堰があり、ドンドンと言っていた。

 夜は闇、通勤の娘達の恐怖の道であった。亡母は凍てる夜も娘を案じ男のいでたちで甚平、ほっ被りで私を待った。その道を亡母と二人、一日の苦楽を語りつつ帰宅した。私にとってはかけがえのない道であった。
  夏の月光の夜、確か奈良附小の研究会の帰り、この道で男性が立往生、私は一心不乱、外れの家に飛び込んだこと、忘れられない想い出である。当時は、ほかの同僚からもよく聞いた話であった。
  しかし反面、昼間は宇陀からの交流の道であり、毎朝、宇陀中生を乗せたボンネットバスがしずかに走り、トラックや牛車の吉野木材の物流の道であった。稲田もひろがっていた。
  川の水は清くドンドン堰は音をたてて流れ落ち、少し深みでは川遊びや小魚を追った。私たちも川へ入って水遊びをして暑さをしのいだ。川岸では蛍も飛びかっていた。

 私にとっては、また胸のときめく出会いの道だった。通学から通勤への懐かしい、憧れの人との出会う道はつづら折りの道、それに沿った川であった。

 進駐の米兵が来てからは、この道でもMPの白ヘルメットの米兵のジープが走り、ある日の夕方、帰宅途中、英語で二人の兵士から話しかけられた。当時はぎょうてんの道でもあった。

 あの想い出の道があれば、亡き母と今こそゆっくり人生を語り、孝行もしてみたいが今は面影すらない。道沿いの稲田は失せ、住宅がひしめき、幼少の想い出の道もない。ひしめく住宅の間を縫うように川が流れていて、幼少の大川は今、小川のように流れている。

 時代は昭和から平成。月日の流れを痛感する。私はこの道と共に亡母を偲ぶ道である。

大和郡山市 清水伸朗 74歳

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 この魯迅の『故郷』の中の言葉がエッセイ「私のすてきな道」のスタートでした・・・・・

わたしのすてきな奈良の道





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