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「今夜が峠です」
村の女医さんは、肩を落として言った。
風邪らしき赤ん坊の熱が下がらず、乳を吐きつづけ、日に日に衰弱して、もう虫の息。五十数年前は、救急病院はおろか、電話も車もなかった。自転車を飛ばして走りに走った父。峠を越え、隣村の老練な医師に荷台に乗ってもらい、夜中、必死でペダルをこいだ。
「待っとれよ。待っとれよ。待っとれよ」
着くなり、医師は顔色を変え、赤児の太ももの数倍ほどのリンゲルを打ってくれた。耐え切れず、即、息絶える危険もはらんでいたが、皆の祈りのおかげもあってか、幸い、無事に回復できた。
言うまでもなく、その赤ん坊は私のことで、成長の節目ごとに「危なかった子がのう…」と、父母は目を細めてくれた。
奈良へ嫁ぎ、子どもを授かってからは、その心情がひとしお思われた。
1995年、春。橿原でロマントピア藤原京の祭典があり、父母を案内した。
歴史好きの父は、いにしへに想いを馳せるとともに「こんな広々として晴れ晴れとした気持ちのよいところへ久しぶりに来た」と喜んでくれた。
健康で充実した老後を送っていたが、初ひ孫が生まれた年の晩秋、父は突然倒れ、そのまま静かに82歳の生涯を閉じた。
奇しくも、その日は、54年前の私の誕生日であった。
週に数回、藤原宮跡と醍醐池の間の道を通って仕事に行く私は、この道で、少しスピードをゆるめてしまう。
春は、桜が池をピンクに染め、秋はさわやかな風が宮跡をわたり、まわりの田んぼの稲穂が黄金に輝く。
この風景は、私には、年ごとに鮮やかに映る。
父母との思い出とともに。
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