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戦前大阪に住んでいた私の家族は、戦争で家が焼け、祖父の故郷の桜井市へ疎開した。
祖父が昔から持っていた山林を、野菜や果物を植えるため開墾を始めたのだ。終戦直前に生まれた私は、いつも祖父母に背負われてその山へ行っていた。
祖父が木や竹を切り、掘り起こしたところから、その根っこや石がごろごろ出てくる。物心ついたころの私は、小さな足でそれらを何回も往復して一カ所に運んだ。
そのうち、祖母の作った弁当を届けるのが、私の仕事となった。道程はまだ5歳の私には40分以上はかかったと思う。
舒明天皇陵を過ぎ、鏡女王墓、大伴皇女陵の横を通り過ぎると、いよいよ道は険しくなる。
山道は横幅1メートルくらいしかない。山道ではとんでもない生物に出合うのだ。へびだ。何故かいつも同じ場所に居座っている。そこまでくると体が固まって冷や汗が流れる。時には、その狭い道に厚かましく横たわっている。
私は小さな手で棒切れを拾って
「しぃっ、しぃっ。あっちへ行ってよ」
と泣きながら追い払った。もうこれだけは、夢に出てくるくらい恐ろしかった。
しかし汗をかきかき祖父の山へ登りきると、そこは絵の世界。青葉や紅葉の木々のすき間から遠くに、倉橋溜池の水面が青白くきらきら輝くのだ。それはパノラマ映画の一場面を見ているようでもある。
「じいちゃん。池が光ってきれいやな」と話しかけると、
「おお、弁当うまいよ」
って返事してくれるのが、最高の褒美だった。
狭くて怖い山道は、山が畑に変わり、大好きなスイカやサツマイモが味わえて、祖父の笑顔ときれいな風景を心の中で描ける絵具なのである。
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