道からはじまるストーリー

第56話 「福祉の道」

2007.01.12

  昭和39年5月。
  緑滴る七曲りの道を、バスに揺られながら、壷阪寺境内に創立された盲人養老院慈母園の職員採用のため、山道を上った。

 当時、バスは1日3往復。昼前のバスは私たった1人。山中に入ると道に突き出た木の枝がバスの窓を叩く。それを不安げに眺めながら、山中のバス停に着いた。

 年配の運転手は「ありがとうございました」と丁寧な言葉を残し、山を下っていった。山の中で1人ぼっちになった私は、不安で胸がいっぱいになった。去りゆくバスを、声を限りに呼び止めたが、声は山にこだまするのみ。山の影に車は見えなくなった。

 気を持ち直し、坂道を上ると、視界が開け、眼前に、壷阪寺の塔、お堂、慈母園の建物が見えてきた。一気に坂を下り、慈母園へ。温厚そうな園長は、初対面の私にやさしく福祉について話をされ、最後に「老人のためにお尽くしください」と握手された。

 3人の子育ての最中、年老いた両親、農家。外に出て働くことはとても無理である。考えながらも反面、自分に挑戦してみようと思った。看護のライセンスを持つ身。「生かしたい」。園長の言葉に魅力を感じた。
  両親に話し、理解を得て慈母園に勤めることになった。

 福祉の流れに沿って今は、施設も充実し、昔の養老院のイメージはなく養護老人ホームとして完備されている。昔日の面影はない。

 認知症の人を探した道。腕を組み、盲老人と歌いながら散策した晩秋の花園。それもこれも思い出の詰まった壷阪の道だ。

 この道を30年余り通い続け、老人の看護に介護に、喜びも悲しみも共に分かちあった。
  あの時、バス停より引き返していたら、今の私の晩年はなかったと思う。老人の介護に自分も教えられることがあった。

 昭和64年秋。
  勲章の栄に浴し、身に余る光栄と感謝した。福祉の道を歩ませてくれた壷阪の道に思いを新たにして―。

御所市 西尾千代子 82歳

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