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しゃれた名前などなかった。
住宅街を抜け、取り囲む田畑と雑木林に沿ってJR志都美駅の小さな駅舎まで続く静かな道だ。
目に付く建物と言えば、地場産業である靴下工場だけだった。僕にとっては、今さらながら思い出深い道筋だが、もちろんそのときは特別な感情などありはしなかった。
今、その道を足早に行く人とて、おそらく同じだろう。僕は20分ほどのその道のりを、10年間歩き続けた。
時には朝もやの中を、時には家々の灯りも消えた夜遅く。
妻のために、二人の子どものために、暖かい暮らしのために、僕は歩き続けた。
そんな僕の勤勉さも、家族を思う気持ちも所詮は小さな力だった。
不況と言う名の大きな力があっという間に僕の会社をのみ込み、すべてが暗転した。
会社は倒産し、住宅ローンを抱えたまま引越しを余儀なくされ、その道を歩くのを止めた。
でも、歩かなくなってからすぐに、無性に歩きたくて仕方がなくなった。時には苦痛さえ感じた道のりなのに。人は、失ってからその物の価値を知ると言う。それが、何の取り柄のない道であってさえもだ。
子どものころ、鳥取県の田舎町に住んでいた。都会に憧れ、高校卒業と同時に大阪に出てきた。そうすると不思議なもので、すぐにうらぶれた田舎町が恋しくてたまらなくなった。何だかあの時の気分に少し似ている。
風の匂いや、土の感触、蛙や蝉の鳴き声。みんな知らず知らずのうちに僕の心に浸み込み捨てがたいものになっていた。
僕は今、力を蓄えている。幸いにも今、僕を抑えつけている力は、不況の波ほど大きくない。そして、いつの日かまた、あの場所に帰ろうと思う。
それまでの間、風に揺れるこがね色の稲穂、土壁の旧家、集団登校する子どもたちの笑顔、みんなそのままで居てくれるといいのだけれど。
それにはまだ少し時間がかかりそうだ。
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