道からはじまるストーリー

第66話 「田んぼの中の道」

2007.03.23

 知らぬ間に還暦を迎える年齢となった。

 村が「字(あざ)」で区画されていた時代、私が通った耳成村立耳成小学校への道は、外れの集合場所から見渡す限り、田んぼの中を走る一本道だった。長く続く先にある橋を目指して歩く。橋を越えると隣りの字だ。

 道に沿って小川が流れ、合流地点の橋までお供をする。川と別れ、字の入口にある一軒家の角を曲がると、また田んぼ道。耳成山を目線に入れ、学校のある字へと向かう。かなりの道程を毎日通学した。

 今、あの時の風景は跡形もなく、田んぼが新興住宅地になったり、幹線道路になったり、眠らぬ店やネオンサインなど、まったく違う環境へと加速した。

 しかし目を閉じると、あのころにすうーっと後戻りをする。田と橋、そして一軒家に山、すごく簡単で見通しのよい道に私は立つ。道草をしつつ、下校する道はまるで自然の歩行者天国だ。

 ところが梅雨から台風シーズンになると一変。風に翻弄され、大雨に小川はあふれ、道や田んぼの境界がなくなり、一面の泥水と化す。あっぷあっぷした稲で位置を知り、水に足を取られながら歩く。先生が集合場所まで送ってくださったのを思い起こす。

 その後、この地を離れたが、我が子の入園前に新興住宅地に移り住むと、近くに橿原市立耳成南幼稚園、小学校が建っていた。子は少しの距離だが、私と同じ道を通った。
  そのころはまだ田んぼが残り、れんげ草が咲き、ザリガニも生息。幼稚園の送り迎え、親子で手をつなぎ四季を感じながら歩く日々。水をはった田を見ると、原風景の水浸しの道が懐かしく浮かんだ。

 今、年を重ねるほどに寂しさが募る。田に吹く風は去り、道端の草花や生き物が消滅。思い出を共にした子らは、結婚で離れ、そして遥かな道を一緒に通った幼なじみはあの世へ旅立った。

 でも私の心は、今もあのころの風景が続いている。

橿原市 桑山俊子 59歳

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 この魯迅の『故郷』の中の言葉がエッセイ「私のすてきな道」のスタートでした・・・・・

わたしのすてきな奈良の道





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