道からはじまるストーリー

第78話 「学校への道」

2007.06.29

 今から60年前、私たち大柳生小学校には、大柳生本校、大平尾分校、忍辱山分校があり、私は、大慈仙から4年生までは忍辱山分校に、5年生からは本校に歩いて通っていた。忍辱山からはバスの通る大きな道でなく、山間の細道を行くのだが、行きは下り坂ばかりで、水車小屋があり、コットンコットンと米つきをしていた。

 薄暗い竹やぶの茂った曲がり道の崖の岩には、「こんこんさん」が祀ってあり、そこを通り過ぎると明るい土手に出て、両脇に畑があった。そこは四季折々に野菜ができ、悪ガキどもは、キュウリ、トマト、秋には柿も取って、おじさん、おばさんにしかられていた。

 そして一体山の中腹に。大平尾の村も見える。それから石橋坂を下るのだが、急坂で石がゴロゴロ。気をつけないと石車に乗ってしまう。

 頑丈な石橋を渡り、久保山を通るのだが、ここからは右に大柳生の棚田が美しく見える。また、はるか前方にはもう学校が見え、運動場では近くの友達が走っている。

 私たちはまだ1/3ほど行かなくてはならない。ここから急ピッチで走っていくのだ。途中、藤の森があり、小川と藤と石がとても美しいところなのだが、そこには目もくれず学校に向かって走っていった。

 学校まで一里あったそうだ。この道を小学2年間、中学3年間、専修科3年間と8年通った。雨の日、雪の日と、辛い日もあったけれど、帰りは楽しく道草をし、藤の森では川遊びをし、藤のブランコにも乗り、野イチゴを手にいっぱい取って食べ、レンゲでレイも作った。
  雪の日は、竹に重くつもった雪を思いっきりはねさせ、雪まみれにもなった。また従妹と百人一首を言い合って覚えた。

 帰り道は、登り坂ばかりだったが、道の両側の草花、木々が私たちを楽しく送り迎えしてくれた。

 この道は、柳生街道の一部であったそうだ。また昔の友達とゆっくりお弁当を持ってハイキングしたいと思う。


奈良市 堂前陽子 68歳

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 この魯迅の『故郷』の中の言葉がエッセイ「私のすてきな道」のスタートでした・・・・・

わたしのすてきな奈良の道





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