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姉が去ってまもなく3カ月を迎える。
2年半前に骨髄線維症という難病にかかり、余命2年の診断を下されていた。骨髄移植の手術以外に姉を救う道はなかった。しかし、以前病んでいた多血症のため各臓器が弱り、手術には耐えられないという。
病気のことはあまり口にせず、気丈な人だった。
姉は中学生の時、母を病気で失い、その数年後、私の母が後妻に入り、姉とは血のつながりはなかった。7歳の年の差があったが、娘時代、私は金魚の糞のようにいつも一緒だった。
6月上旬、姉は我が家に一泊して、翌朝、夫の車で馬見丘陵公園に出かけた。公園の遊歩道は手入れが行き届き、心地よい風が吹いていた。
姉の念願の菖蒲は満開だ。色とりどりの花が咲き競っていた。私と腕組みして歩む姉は、病人とは思えないしっかりとした足取りだ。
夫の案内で桜並木の遊歩道を抜け、大池で亀を見学した。親亀の背中に子亀が乗りさらに小さな亀がその背に乗っている。3人で思わず笑い出してしまった。
私たち夫婦のストレス解消の場でもある。さらに進むとスイレンの小さな池には黄花が数個咲いていた。
帰途への道で姉の口から「ふるさと」の歌声がこぼれた。歌の得意な姉は70歳とは思えないソプラノだ。オンチの私もハミングした。
姉は子どものころ育った宮崎の野山を心に浮かべていたのだろうか。
3人で歩んだ馬見丘陵公園の道。あの日から2カ月もたたない7月29日、姉は6日間の入院で大空に旅立ってしまった。
生きる強さ、困難に立ち向かういさぎ良さを教えてくれた姉はもういない。
紅葉の季節には姉を誘って馬見丘陵公園を歩こうと計画していた。
秋には夫と共に姉の写真を持って、初夏にたどった道を歩もうと心に誓った。
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