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天誅組の変

明治維新発祥の地 幕末の志士を訪ねて

2004.3.19掲載

今年のNHK大河ドラマは新選組。幕末という時代には不思議な魅力がある。奈良県の幕末はどうだったのだろうかと思い、五条市を訪れた。

黒船の到来以後、250年以上続いてきた江戸幕府は揺らぎ始めていた。そんな中で幕府を倒して天皇中心の世にしようという尊皇攘夷派の公家が中心となり、天皇に春日大社と神武天皇陵への大和行幸を進め、それに乗じて倒幕の兵を挙げようという企てが立てられる。そして文久3(1863)年8月17日。その倒幕軍の先鋒になろうとした若者たちが襲撃を行ったのが五條代官所である。彼らが天誅組であり、尊王攘夷派による幕府に対する初めての武装蜂起だったという。今の五条市役所が代官所の跡地であり、今は市役所の入口に碑がひっそりと横たわっている。

代官である鈴木源内を討ち取り、襲撃は成功したかに見えた。ところが、翌18日に京都で政変が起こり尊皇攘夷派は失脚。天皇の大和行幸は取りやめになり、彼らは一転して逆賊と呼ばれることとなる。その後吉野の山々を転々とし、9月24日に今の吉野郡東吉野村鷲家口でほぼ壊滅する。

五条市は江戸時代にはいくつもの街道が通る要所であり、今も和歌山へと続く国道24号線と十津川へ向かう国道168号、河内長野に抜ける国道310号線など主要な道路が通っている。その3つの国道が交わっている交差点近くに、天誅組が代官所を襲った後に本陣を設けた櫻井寺がある。境内には代官の首を洗ったという岩手水鉢が残っている。しかし、本陣であったのはほんの数日のことだ。

石手水鉢
代官鈴木源内の首を洗ったとされる石手水鉢(櫻井寺)
五條代官所の長屋門
天誅組140周年を記念して復原された五條代官所の長屋門

昨年はちょうど天誅組の変から140年。さまざまな催しが行われ、五條代官所の門も復元された。この長屋門でボランティアとして働く森本シズエさんと黒田邦子さんは「天誅組のことを知る良いきっかけだった」と話す。もし京都で政変が起こらなければ、その後の歴史は大きく変わっていたことだろう。天誅組の変の後わずか5年で江戸幕府は終焉を迎えている。

彼らも、同じ時期に京都で活動していた新選組も正しかったわけでも間違っていたのでもないのだろう。若者たちは時代を変えようと、良い世の中を作ろうと必死だった。そんな彼らの思いに、私たちは引かれるのかもしれない。(久)


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