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在原業平の塚(天川村) 神秘の村に残る平安貴族の足跡

元天川中学校の敷地内にひっそりと建つ五輪の塔

 天川村に行く機会があると、芸能の神様としても知られ、小説や映画でも有名な天河大辨財天社はぜひとも立ち寄りたい神社だ。呼ばれた人しかたどり着けないとも言われるが、今回も縁があったのか無事参拝を済ますことができた。

 

 その後、神社の周辺を歩いていると「在原業平朝臣之墓」と書かれた木の看板が目に入った。矢印が指す方向に向かうと、廃校となっている元天川中学校の校門を過ぎて、武道場らしき建物の裏手に続いていた。さらに看板があり、指す方向には元中学校の校舎に向かって板を渡した橋が作られている。おそるおそる橋を渡ると、中学校の敷地内らしき一角に、五輪の塔や石碑が建てられてあった。

 

 古い石碑には、狩りくらし たなばたつめに 宿からむ 天の川原に 我は来にけり

 

 在原業平朝臣の歌

 

 ひととせに ひとたび来ます 君待てば 宿かす人も あらじとぞおもふ

 

 紀の有常朝臣の歌

 

と2首の歌が。

 

 新しい石碑には、この歌は惟喬親王が天皇の特使として天河弁財天社に参詣される際に2人が同伴としてこの地を訪れた時の歌で、それまでにも在原業平が何度か天川村を訪ねているのだろうということ。また「河海抄」という書物に「在原業平朝臣天の川の岩窟に入定し給う」とあることから、この地で亡くなられたという趣旨のことが書かれてあった。

 

 天川村役場地域政策課課長の堀川秀博さんによると「山上ケ岳には、昔は高貴な人しか登れませんでした。時の権力者が訪ねて来たということは事実でしょう」とのこと。在原業平は男前ということでも有名な人物。日本全国に女性にまつわる話は伝わっているが、関係のある女性が住んでいた場所に「塚」があるという話を聞いたことがある。

 

 村内に、もう一カ所業平ゆかりの塚があると教えてもらった。こちらは看板もなく五輪の塔があるだけ。どちらの塚も土地を調べると村の土地ではなく国有地とのことだ。

 

道端に看板もなく建つ五輪の塔。知らなければ通り過ぎてしまう。

 天川村は今でも神秘的な雰囲気を感じる地である。はるか昔の平安初期に貴族がこの山深い地を訪れ、どんな物語を描いたのか。五輪の塔が現代にヒントを遺しているのかもしれない。(久)

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地図

在原業平の塚

※このページの内容は2021年11月5日現在のものです。

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