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率川地蔵尊(奈良市) 伊勢街道の起点見守る 船に並んだお地蔵さま

 観光客でにぎわう猿沢池の南から西に回り込むように、ほとんど水のない川がある。ならまちに向かうとその川に掛かる石橋を渡るが、ふと橋から川をのぞき込むと、橋に向かって数十体のお地蔵様が船に乗って並ばれている様子が目に入る。

 

舟形に乗る数十体のお地蔵様。水が少ないため近くまで下りて見ることもできる。
大雨の跡はよだれかけが流れたり、お地蔵様が倒れることもあるという

 「この橋は島嘉橋(しまかばし)と言い、伊勢街道上ツ道の起点です」と話すのは今御門町自治会長の加納直和さん(68)。このお地蔵様たちは尾花谷川地蔵尊とも言われていたが、いつからか率川(いさがわ)地蔵尊と呼ばれるようになったとのことだ。

 

 何体かのお地蔵様は以前からあったそうだが、護岸工事が行われる度にお地蔵様の数は増え続けているという。「おそらく廃仏毀釈の時に捨てられたお地蔵様が、工事で川の中から見つかり、一緒に並べられたのでしょう」と加納さんは話す。

 

 自治会ではお正月と8月の地蔵盆の年に2回、赤いよだれかけを新調しているそうだ。よだれかけは自治会で分担して縫っているという。40軒で分担し、以前は1軒に一つずつで足りていたのに、今ではお地蔵様が倍以上に増えて足りなくなったそうだ。

 

 島嘉橋から南に進むと、今御門町の南端には道祖神が祭られている。「賽(さい)の神様」として知られ、スポーツ選手や興行前の役者も成功を願って訪れるという。「北はお地蔵さんに、南は道祖神に守られています」と加納さん。お地蔵様や道祖神の掃除も自治会で行い、守り続けているという。

 

 率川は猿沢池の西側で西に折れ、餅飯殿商店街を横切り、やすらぎの道も超えてJR奈良駅の方面にまで続いているが、工事により暗渠(あんきょ=覆いがされたり地下に作られ外から見えない水路)となっていて、その姿は見ることができない。しかし、率川に掛かっていた橋の跡などをたどることはできる。

 

 猿沢池からは、300年ぶりに天平の姿を取り戻した興福寺中金堂の姿も少し望むことができる。天平の昔から人々の営みが続くこの地で、これらのお地蔵様はいつ、どんな思いで作られ、この街を見守ってきたのか―。観光客を橋の下から静かに眺めている。(久)

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率川地蔵尊

※このページの内容は2019年1月11日現在のものです。

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