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葛城市相撲館けはや座と當麻蹶速の塚(葛城市) 蹶速が今に伝える相撲の魅力

塚は當麻蹶速の墓と言われている

 今何かと注目の大相撲。初場所千秋楽の優勝争いは見ごたえがあり、久しぶりにテレビの前で熱戦を観賞した。葛城市當麻には、相撲の開祖と言われる當麻蹶速の塚がある。相撲の歩みを知るため、改めて発祥の地をたずねることにした。


 近鉄當麻駅から西へ200m、ちょうど駅と当麻寺との中間地点に塚がある。日本書記によると、相撲の始まりは、當麻蹶速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)の力比べと記されている。

 

 ―當麻には、當麻蹶速という生まれつき力が強い男がいて、常日ごろから「この世で自分と互角に力比べができるものは存在しない。もしそのような人物がいたらぜひ、その人物と力比べを行いたいものだ」と豪語していた。そこで天皇は力が優れている野見宿禰を出雲の国から呼び寄せ、対戦を行わせた。その結果、蹶速は宿禰に敗れた―

 

 塚の石塔は鎌倉時代の様式で、その脇には昭和に入り建てられた石碑が並んでいる。案内版には、「勝者必ずしも優ならず時には勝機や時運に恵まれず敗者となることもある。勝者に拍手をおくるのはよい、だが敗者にもいっきくの涙を涙をそそぐべきではないか」と刻まれている。敗者となった蹶速だが、素朴で野性的な性格が地元の人には親しまれているのだ。

 

 すぐ横にある相撲館は平成2年に開館。約1万点の資料を保有し、郷土力士に関する資料も充実している。「大阪場所がある時などは、県外の相撲ファンの方が立ち寄ってくださいます」と同館の小池弘悌さん(40)。中央には、約40トンの赤土で作られた本場所と同じ大きさの土俵があり、年に数回、わんぱく相撲や子ども向けイベントなどで取組が行われている。上ってみると非常に硬くて頑丈。これなら体重100kgの力士がぶつかりあっても、確かにつぶれないだろう。

 

4~5月、ボタン祭りのころには観光客でにぎわう

 2階には、歴史年表やかるた、メンコ、双六などの相撲玩具が並ぶ。値段が「30セン」と書かれた戦前の雑誌も興味深い。今でこそさまざまなスポーツを楽しむ時代になったが、昭和初期の子どもたちにとって"お相撲さん"は憧れの存在だったのだろう。

 

 蹶速と宿禰の力比べから、気が遠くなるような時を経て、今もなお相撲は多くの人々に愛されている。近ごろ、角界にまつわる残念な出来事を耳にする機会が増えたように思うが、相撲にはまだまだ夢と希望がいっぱい詰まっている。蹶速に誘われてこの地を訪れ、相撲の魅力を再発見した。(真)

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けはや座

葛城市當麻

※このページの内容は2008年5月9日現在のものです。

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